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生存者バイアス

2025年06月13日

唐突ですが、みなさんは表題の用語を聞いたことはありますか?

 

生存者バイアス(または生存バイアス)とは、何らかの選択過程を通過した人・物・事のみを基準として判断を行い、その結果には該当しない人・物・事が見えなくなることである。選択バイアスの一種である。

生存者バイアスの例として、ある事故の生存者の話を聞いて、「その事故はそれほど危険ではなかった」と判断するという事例がある。それは、話を聞く相手が全て「生き残った人」だからである。たとえ事故による死者数を知っていたとしても、当然死んだ人達の話を聞く方法はなく、それがバイアスにつながる。~以下略~

引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

 

さて、今回はそれを踏まえての話になります。

 

先日来、今春の卒塾生たちから大学入試の得点開示情報が数件寄せられています。

たとえば、卒塾生Aの場合、某大学某学部(前期日程)に合格しているわけですが、「共通テストで得点率66%、大学個別学力検査(いわゆる二次試験)で得点率39.8%、総合得点率52.2%で合格」というような詳細なデータまでは当事者以外はなかなか知りえないものだと思います。これから大学入試に向かう受験生が意識するべきところは、ほんとうはこういう詳細なデータのほうであるべきです。幸運なことにそういうデータを知ったときは、それを客観的に分析することが重要です。その年の合格最低点や合格者平均点なども時期が来ればほとんどの大学から公表され、大手予備校がそれらをまとめてくれています。さて、このAが合格した大学学部のこの年の合格最低点は、総合得点率で言うと49.8%でした。得点に換算すると、もしAの総合得点が25点低かったらAは不合格だった、という厳然とした数字がそこにあります。

もちろん、過程はどうあれ、合格は合格です。余裕で合格しようが、ギリギリで合格しようが、合格したという事実は揺るぎませんし、また、薄氷を踏む合格であってもその合格の価値が減じるものでもありません。逆に、余裕で合格したからといって、その人の学歴に「○○大学(☆)」と、特別な☆印が付くわけでもありません。優秀な合格者を対象とする奨学金などはあるので、全く意味がないということはありませんが。

 

少し話がそれましたが、一般的な高校生が高校を卒業して大学生になり、幸せで充実した気分で後輩たちの前で話をするとき、大学入試に関して楽観的な言葉を発してしまいがちです。大学に合格した先輩からいろいろな話を聞く機会というのが高校生にはあると思います。たとえば、部活動のOB・OGとして差し入れを持って顔を出しに来たときに、卒業生が進路講演会などで来校したときに、あるいは、教育実習生として数年後母校に戻ってきたときに。その際、先輩として話をする彼らのほとんどが、大学入試で「合格」した「生存者」です。ここで、冒頭の「生存者バイアス」と話がつながってきます。

 

人間は基本的に、自分を良く、大きく見せたいものです。自分を悪く、小さく見られたくないものです。また、説教くさいことを言って煙たがられるのも嫌だし、とりあえず前向きな、無難な言葉を選ぶことが多いでしょう。しかし、悪気があるわけではないでしょうが、大学入試で合格した先輩が後輩たちにかける言葉の中には、結果的に後輩たちの失敗の要因になる類のものが少なくないことを留意しておくべきです。たとえば、「おれはスマホ断ちは最後までしなかったけど、まぁ何とかなった」、「私は部活動引退まで特別頑張ってはいなかったけど、引退してからふつうに頑張ったら合格できた」、「学校や塾の先生は勉強させるために脅しをかけてきたりするけど、そんなの無視してマイペースにやれば結構いけるもんだよ」などなど・・・。

その合格した人と自分は別の人間なのに、高校入学時や高校在学中の学習習慣や理解力や成績も全く自分とは違うのに、自分にとって耳触りの良い言葉であるがゆえに、都合のいい部分だけを自分と重ね合わせてしまう失敗例は全国的によく聞く話です。

 

ですので、たとえ仲が良くて信頼できると思っている先輩であったとしても、楽観的なことしか言わない先輩の話は、大学入試のアドバイスとしては半信半疑で聞いてもらいたいと思います。なぜなら、倍率が3倍くらい、あるいは5倍以上になることも珍しくない大学入試において、合格した人(生存者)よりも、圧倒的に不合格だった人のほうが多い現実があるからです。その不合格になった人の大多数が、「スマホ断ちできてなかったから、最後まで勉強の量と質が悪く、成績が伸びずに落ちた」、「部活動が終わってからもそれまでと大して変わらない勉強量しか確保できず、全然学習に本気になれなかったから落ちた」、「学校や塾の先生の言うことを無視して、何でもかんでも我流でやろうとしたから成績が伸びず落ちた」などなど・・・。「それでも合格するよ」と聞いていた話が原因で成績が最後まで振るわず、冷たい言い方をすれば順当に不合格になっている受験生がかなりの数いるわけです。

このような、合格した人(生存者)の発言内容が失敗の原因となったケースの失敗談をこそ、残酷ですが、不合格だった人が現役生に直接聞かせてくれたらどんなに良いか、と私は思っています。

残念ながら、意中の大学に不合格となり不本意な進学となった(ほとんどの場合は自業自得なのですが)人や意中の大学への思いを貫くために浪人を決断した人が、現役生の前に姿を見せて自分の恥部も含めて赤裸々に語ってくれることはほとんどないでしょう。そんなことはしたくもなかったり、そんなことをする暇はなかったりで。冒頭の卒塾生Aの話で言えば、合格と不合格を分ける得点を実力も運もひくるめてクリアした「生存者」にならなかった人たちの姿や声は、現役生たちから見えづらいし、聞こえづらいものです。これこそが、大学入試において生存者バイアスに陥る受験生がいる最大の理由だと思います。もちろん、合格した人(生存者)からも貴重な警告を含むアドバイスが現役生に送られることはありますが、「○○したほうがいいよって言うけど、○○できてなかったけど結局合格したってことやん」と、本当は大事な警告が軽く受け取られることが多いでしょう。まさに、生存者バイアスです。

 

最後になりますが、カルタスでは時に(しばしば、かもしれませんが)厳しいことも塾生に言います。それは、上記の通り、失敗者がわざわざ自分の失敗談を生々しく語ってくれるようなチャンスが実質ないからでもあります。誰かが厳しい現実を彼らに示すべきです。「勉強させたいから、ただ漠然と厳しいことを脅しで言っている」わけでは決してなく、実際に冒頭の卒塾生Aがわずか25点差でかろうじて合格を勝ち取ったように、大学入試は過酷な競争であることを数字を通してわれわれは知っているからこそ、塾生にはその現実と向き合って乗り越えてほしいと思って厳しい言葉をかけたりもします。

なお、この冒頭の卒塾生Aは、部活動引退後はほぼ毎日、授業がない曜日もカルタスに来て自学自習していました。体調管理にも気をつけながら、簡単には休んだりせず最後まで頑張っていました。もちろん、Aは「ギリギリ合格」をはじめから狙っていたわけではありません。「ギリギリ合格」になってしまったのです。しかし、日々の努力の積み重ねが、合格と不合格を分ける差だった25点を結果的には埋めたのだと言えないでしょうか。そして、そうやって努力の末になんとか合格をつかみ取った卒塾生たちが大学入試について後輩にアドバイスを送るときには、願わくば、楽観的で自分を良く見せるような調子のいい話に終始するのではなく、あえて厳しいことや耳が痛いことも後輩に伝えてあげられる人であってほしいものです。

 

大學受験館カルタス 山本